『青陵』第51~60号
号数 | 発行年 | タイトル | 著者名 |
51 | 1983 | 回想録Ⅲ 朝鮮からの退去 | 有光教一 |
榛原町上井足殿垣内前山出土の四耳壺および土師器小皿 | 楠元哲夫・朴 美子・辻本宗久 | ||
石造露盤の由来 | 高田良信 | ||
田原本町十六面出土の土器 | 服部伊久男 | ||
帰国報告 | 河上邦彦 | ||
52 | 1984 | 北京留学記-北京語言学院の一年-(一) | 前園実知雄 |
酒詰静枝さんを悼む | 末永雅雄 | ||
榛原町内牧出土の磨製石斧と鉄釘 | 楠元哲夫・横山匡彦・柳沢一宏 | ||
天理市柳本町向山西遺跡の調査 | 泉 武 | ||
53 | 1984 | 回顧録Ⅳ 占領軍のなかの職場 | 有光教一 |
菅生寺墓地五輪塔調査概要 | 泉森 皎 | ||
北京留学記-北京語言学院の一年-(二) | 前園実知雄 | ||
唐古・鍵遺跡「銅鐸鋳型」がみつかった日 | 石野博信 | ||
『銙・石銙出土地名表補遺』(1) | 亀田 博 | ||
54 | 1984 | 所長辞任にあたって | 有光教一 |
ご挨拶 | 岸 俊男 | ||
橿原市北東部にある河川跡について | 松本洋明 | ||
新庄町寺口採集の有舌尖頭器 | 佐藤良二・有本雅己 | ||
55 | 1985 | 狭山文庫の橿原考古学研究所へ移管について | 末永雅雄 |
海外の廃墟都市をたずねて | 藤岡謙二郎 | ||
奈良の遺跡から出た植物についての補遺 | 嶋倉巳三郎 | ||
終末期古墳築造企画についての補遺 | 宮川 徏 | ||
〈資料紹介〉平隆寺の鴎尾 | 亀田 博 | ||
ひとりごと-研究所の整理室から- | 下中一代 | ||
56 | 1985 | 平城京一条三坊の遺跡 | 永島福太郎 |
古代赤色顔料と漆喰の化学分析補遺 | 安田博幸 | ||
藤岡謙二郎博士を悼む | 末永雅雄 | ||
奈良市此瀬町出土の土器 | 泉 武 | ||
曽爾村弁天遺跡採集の縄文時代遺物 | 松田真一・中野和正 | ||
コンピューターによる資料活用 | 中井一夫 | ||
夏鼐氏を悼む | 末永雅雄 | ||
夏鼐先生をしのんで | 菅谷文則 | ||
老師!夏鼐先生 | 河上邦彦 | ||
夏鼐先生の御逝去を悼む | 前園実知雄 | ||
夏鼐先生のご逝去を悼む | 蘇 哲 | ||
57 | 1985 | 高取町渋柿遺跡の弥生土器-高地性遺跡の一例- | 関川尚功 |
橿原市黒田池遺跡出土の縄文時代遺物 | 松田真一 | ||
研究所図書室の利用状況 | 研究部 | ||
58 | 1986 | 竜田御坊山三号墳人骨 | 池田次郎 |
御坊山三号墳の出土品について | 泉森 皎 | ||
石見の鳥 | 石野博信 | ||
泰山へ | 玉城妙子 | ||
59 | 1986 | 富雄丸山古墳の墳形について | 泉森 皎 |
曽爾村今井楯岡山古墳群の古記録-「曽爾村楯岡山三号墳石室について」(青陵33号)の補遺」- | 松田真一・関川尚功・今尾文昭 | ||
纒向遺跡採集の「南九州」系土器 | 石野博信 | ||
九州廻記 | 蘇 哲 | ||
シンポジウム「弥生人の生業を考える」終わる | 石野博信 | ||
60 | 1986 | 古代青銅器の原料産地推定への私見 | 久野雄一郎 |
桜井市忍阪・忍坂東12号墳出土の埴輪について | 清水真一 | ||
天理市赤土山古墳出土の埴輪 | 泉 武 |