環日本海地域の細石刃・尖頭器文化が、新たに石鏃を作り始める頃、列島に土器が発生します。これが世界最古の土器です。県東部の山間にある北野ウチカタビロ遺跡や桐山和田遺跡からは、有舌尖頭器・石鏃・矢柄研磨器・磨製石斧とともに、隆起線文土器とよばれる最古の土器の一種が出土しています。
2.狩りのムラ
縄文時代後期(約4000年前)より以前の遺跡は、県下では山間部に集中しています。木津川水系の各河川がつくる谷や、吉野川水系の谷にひろがった縄文遺跡は、安定した食用植物と動物・魚類によって、豊かな生活が保証されていました。同じ頃の奈良盆地は、沼沢地から乾燥した平野へと変化しているところでした。居住に不向きな盆地中央部をさけ、縁辺部の扇状地に遺跡が散在しています。
Ⅱ.豊かな採集狩猟民の文化 1.森の民のくらし —橿原遺跡—
森の豊かさは、安定した食用植物に支えられていました。縄文人はその豊かさを季節ごとに利用するすべを心得ていました。生活圏のなかに、狩猟や採集のための一時的なムラをもちながら、中心となるムラで継続して暮らす定住へ進みました。定住化にしたがって、木の実をつける木の管理や簡単な栽培農耕も始まったとみられます。橿原遺跡から多数出土した打製石斧は、木の伐採・加工用とみるには弱々しく、あるいは根菜類の掘り起こしや、畑作植物の栽培に使われたものと考えられます。