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旧石器時代 縄文時代 弥生時代 古墳時代 飛鳥・奈良時代 平安〜室町時代
古 墳 時 代
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Ⅰ.ヤマト王権の成立
Ⅱ.倭の五王の時代
Ⅲ.古墳のまつり  埴輪と木製品
Ⅳ.ヤマト王権の展開
Ⅴ.藤ノ木古墳の時代
第2室配置図



Ⅰ.ヤマト王権の成立

3世紀後半、奈良盆地の南東部に大型前方後円墳が突如としてつくられます。それが最初の大王墓、箸墓古墳です。その造営に直接かかわった纒向遺跡では、遺跡内に箸墓に先行する石塚古墳などがすでにつくられていました。纒向を最初の都とする考えが有力ですが、まだその中心となる部分は発掘で確認できていません。また、箸墓古墳に類似した初期の古墳が瀬戸内から北部九州にあり、それらの地域によるまとまりが、初期のヤマト王権を支えたと考えられます。

箸墓古墳CG

纒向石塚古墳 弧文円板
箸墓古墳

弧文円板(桜井市纒向石塚古墳)

纒向遺跡に持ち運ばれた土器
纒向遺跡に持ち運ばれた各地の土器

吉備系土器 尾張系土器
吉 備 系

 
尾 張 系

河内、近江系土器 山陰、北陸系土器 駿河系土器
河内系・近江系

山陰・北陸系

駿 河 系



王権の象徴

4世紀の王権を象徴するのは、古墳の墳丘と埴輪、埋葬のための長大な竪穴式石室、そして死者にそえられた鏡や各種の石製品と、鉄製の武器・武具・農工具などです。墳丘の形は、前方後円墳のほかに前方後方墳・円墳・方墳がありますが、主要な古墳は大半が前方後円墳です。これらの墳丘の形・大きさ、またはそのつくられた位置から、政治的な意味を読み取ることができます。


メスリ山古墳 大型埴輪
桜井市メスリ山古墳の大型埴輪


竪穴式石室と木棺(天理市下池山古墳) 二重口縁壺(桜井市桜井茶臼山古墳)
下池山木棺、行燈山CG他
キヌガサ形埴輪(複製・奈良市佐紀陵山古墳) 天理市行燈山古墳


下池山古墳 内行花文鏡 新沢500号 内行花文鏡 桜井茶臼山古墳 玉杖
内行花文鏡
(新沢500号墳)

池ノ内古墳 三角縁神獣鏡
内行花文鏡(下池山古墳)

三角縁龍虎鏡
(桜井市池ノ内5号墳)

玉杖(桜井茶臼山古墳)


島の山古墳 車輪石、鍬形石   新沢500号墳 勾玉
勾玉(橿原市新沢500号墳)

新山古墳 金銅製帯金具
車輪石(上)と鍬形石(下) (川西町島の山古墳/文化庁所蔵)


  金銅製帯金具復元品
(広陵町新山古墳)

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Ⅱ.倭の五王の時代

5世紀は、日本列島の5人の王が中国に使いを送ったと中国の歴史書に記された時代です。彼らは、東アジアのなかでも特に朝鮮半島の情勢に強い関心を向けていました。また、日本列島の各地に多くの渡来人がやって来ました。その中心は朝鮮半島からの人々であり、特に南部の百済・伽耶を取り巻く不安定な国際情勢が多くの人々の移住をうながしました。彼らによってもたらされた新しい技術は、金工・鉄器生産と土木技術、須恵器生産などがあげられます。同時に乗馬の風習や、横穴式石室の埋葬法とともに、死者に食物を供える須恵器の副葬などの風習が伝えられ、技術革新とともに日常生活にも大きな影響を与えました。

宮山古墳 靫形埴輪 
家形埴輪(御所市宮山古墳)


靫形埴輪(宮山古墳)


金製垂飾付耳飾(橿原市新沢109号墳) 舟形埴輪(葛城市寺口和田1号墳)
金製垂飾付耳飾、舟形埴輪、金銅製帯金具
韓式系土器 甑(御所市南郷遺跡群)


新沢115,281,109号墳 甲冑、刀 甲冑と刀(橿原市新沢115・281・109号墳)




乗 馬 の 風 習
後出3号墳 轡 谷遺跡 木製鞍
轡(宇陀市後出3号墳)

木製鞍(宇陀市谷遺跡)

ウワナベ5号墳 輪鐙 石光山8号墳 剣菱形杏葉
輪鐙(奈良市ウワナベ5号墳)

剣菱形杏葉(御所市石光山8号墳)


初 期 の 須 恵 器

新沢139号墳 須恵器 壺 寺口忍海E-21号墳 須恵器 壺、高杯、杯
須恵器壺(橿原市新沢139号墳) 須恵器壺・高杯・杯(葛城市寺口忍海E-21号墳)


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Ⅲ.古墳のまつり
 埴輪と木製品

古墳に立てる埴輪は、時期とともにその種類がかわります。まず、埋葬の中心となる墳丘頂上部では、円筒埴輪や器財埴輪、家形埴輪が方形に取り囲んでいました。これらは、葬られた人を守るための意味を強く持っていました。そして、5世紀後半に新たに加わる人物と動物の埴輪の組み合わせによって、葬送と引き継ぎの儀礼の様子を再現しています。
しかし、墳丘の外表を飾るのは埴輪だけではありません。このことを強く印象づけたのは、四条古墳の発掘調査でした。この調査では、人物などの形象埴輪とともに、各種の木製品が多数出土しました。同じことは、石見遺跡(古墳)の調査でもわかっていました。木製品には、葬送の儀礼に使用されたものと、埴輪と同じように古墳の周囲に立て並べたものとに分けられます。

石見遺跡 埴輪 入れ墨の男
入れ墨の男
(三宅町石見遺跡)

石見遺跡 埴輪 椅子に座る男 石見遺跡 埴輪 飾り馬
石見遺跡 埴輪 鹿
石見遺跡出土の埴輪
左:椅子に座る男、 右上:飾り馬、 右下:鹿


橿原市四条1号墳出土の木製品

四条古墳 儀仗形木製品 四条古墳 さしば形木製品 四条古墳 笠形木製品
笠 形
四条古墳 鳥形木製品
儀仗形 さしば形 鳥 形


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Ⅳ.ヤマト王権の展開

倭の五王を中心とした活発な対外交流により、5世紀には多くの新しい文物や文化が列島に流入しました。それは、横穴式石室、乗馬の風習、金銅製品、須恵器生産など、さまざまな分野におよびました。これらは、当時の社会の仕組みを大きく変える要因となりました。広域にわたる群集墳の成立や、支配者層の古墳の変化は、その表れです。

御所市石光山古墳群全景 大宇陀町後出3号墳遺物出土状況
御所市石光山古墳群全景 宇陀市後出3号墳遺物出土状況



Ⅴ.藤ノ木古墳の時代

藤ノ木古墳のつくられた6世紀後半に、朝鮮半島では新羅によって伽耶が滅ぼされました。それまで伽耶を通じて大陸文化に接していた日本列島の大王家や有力豪族たちは、新たな窓口を百済ないし新羅に求めました。そのため、藤ノ木古墳の金銅製馬具のように、それまでとは系譜の異なる新しい文物がもたらされることになりました。



藤ノ木古墳 金銅製品出土状況
石棺の中の金銅製品の出土状況

藤ノ木古墳 金銅製冠





藤ノ木古墳 金銅製履
金銅製冠(文化庁所蔵) 金銅製履(文化庁所蔵)

藤ノ木古墳 金銅製鞍金具(後輪) 藤ノ木古墳 金銅製鞍金具(前輪)鳳凰
鳳凰(鞍金具・前輪
/文化庁所蔵)
藤ノ木古墳 金銅製鞍金具(後輪)象
鞍金具(後輪/文化庁所蔵) 象(鞍金具・後輪
/文化庁所蔵)
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