1 吉野川流域の自然環境と宮の平遺跡

吉野川流域の地勢

吉野川は紀伊山地の北半を流域とした近畿の代表的な河川のひとつです。急峻な山地を北に流れる支流を集めた吉野川は、中央構造線に沿って西に流れ、さらに和歌山県に入って紀ノ川となって和歌山市に至り紀伊水道に流れ込みます。吉野川の流域である紀伊山地北半部は、中央構造線外帯を構成する地質と、第四紀に入ってからの基盤の隆起、および降水量の多いこの地域特有の気候とが相俟って、現在見るような急峻な山と深い谷からなる壮年期の地形を呈しているのです。

宮の平遺跡発見と立地

1987年、丹生川上(にうかわかみ)神社上社の境内で一本の欅を抜根した際に、根と絡んで縄文土器が発見され、この場所に縄文時代の遺跡の存在することが初めて明らかになりました。しかし、大滝ダム建設によって遺跡が水没することとなり、遺跡全面の発掘調査を実施されました。台高(だいこう)山地に発する支流を集めた吉野川は、蛇行して左右に段丘を形成しています。遺跡は神社が鎮座する川上村大字迫(さこ)付近の左岸段丘上に立地しています。

紀伊半島を縦断する縄文の道

宮の平遺跡で早期の土器が発見された直後に、吉野離宮が所在したとされる宮滝遺跡でも同時期の土器が出土し、当時の人々が沢に沿って流域を渉猟した様子が窺えます。ところで紀伊半島南半部を流域とする熊野川の支流のひとつに東ノ川がありますが、この上流部の渓谷には向平遺跡が立地し、1962年の発掘調査で宮の平遺跡と同時期の炉跡と、早期の押型文土器が出土しています。紀伊半島の真っただ中の孤立した存在でしたが、宮の平遺跡の発掘調査によって紀伊半島を縦走する縄文の道が早期には切り開かれていた可能性が高まってきました。


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宮の平遺跡の遠景
宮の平遺跡の全景
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