2 定住生活への動き
竪穴住居の普及

 住まいの跡は旧石器時代の遺跡からも見つかっていますが、縄文時代になると竪穴住居が検出される事例が飛躍的に増加します。特に全国的に気候の温暖化が進んだ早期になると、整った形の平面形で、しかも複数の住居によって構成される集落が出現します。各地でそれぞれの地域の環境に適応した定住生活が営まれるようになったことを示しています。近畿地方ではこの時期、宮の平遺跡にみられるように、竪穴住居に隣接して、穴の中に多数の焼礫を集めた炉が設けられるほか、トンネル状の構造をもった炉も新たに出現します。

宮の平遺跡の早期の土器

早期になるとそれぞれの地域で特徴ある土器がみられるようになります。ここ近畿地方では押型文土器という特有の文様をもった土器が流行します。土器は例外なく底が尖った形で、多くは口の部分を開き気味につくられています。表面全体に楕円や山形などの細かい文様が隙間なくつけられていますが、宮の平遺跡から出土した土器を仔細に観察すると、文様を彫刻した小さな円棒状のものを、表面に転がしてつけたことがわかります。

中期から後期の竪穴住居跡

この時期の住居跡は5基を確認しましたが、そのいずれもが川に近い下位の段丘面にありました。住居の平面形は隅円長方形、隅円方形、円形、柄鏡形など多様な形態をもっていましたが、柱の痕跡や住居内の炉の使用痕跡などを見ると、恒常的に使われていたとはいえないような状況でした。ここで活動した縄文人は、流域に存在が想定される拠点集落から、必要に応じてこの場所を利用したのではないでしょうか。

竪穴住居跡から出土した土器

 竪穴住居跡5005からは確認された住居跡中で最も多くの土器が出土しました。比較的幅の狭い縄文帯で飾る土器、櫛状の工具で文様を描く土器、文様を施さない土器などに大別できます。全体が復元できた№193の土器は、縄文帯による「J」字文様を横方向に繋ぐデザインを上下2段に配したもので、№205では逆向きの「J」字文様と、3本の縄文帯が用いられていて違いがあるが、いずれも後期前半でも古い段階の特徴をもった土器です。


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焼け石を用いた炉跡
縄文早期の押型文土器
竪穴住居5の全景と縄文土器
(左205,右193)
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