神と仏が一体のものとみる神仏習合の信仰は古くは奈良時代にみられます。それは各地の神社に付属した神宮寺や、東大寺大仏の造営にともなって宇佐八幡宮の神がその鎮守として手向山八幡宮にまつられたことなどからうかがわれます。また、奈良時代に製作された聖林寺十一面観音菩薩像がもとは大神神社の神宮寺である大御輪寺の本尊であったことは有名です。
平安時代になると、もとは神社における御神体として祀られていた鏡に仏が映し出された姿を描いた鏡像が出現します。そして、最初は鏡の鏡面に線彫りされていたものが次第に立体的に表現されるようになり、銅板に打ち出した半肉彫りの仏像を鏡に打ち付けるようになります。これが懸仏の成立と考えられています。鏡像や懸仏は時代が下ると多くの信仰を集め、多量に神社や寺院に奉納されるようにもなります。
当館が収蔵している資料にもこの鏡像と懸仏の発生と変遷を知る上で重要なものが多数あります。今回展示する大峯山寺本堂から出土した鏡像は蔵王権現像を表現しており、隣接する金峯山経塚の状況からも時期は平安時代中頃と考えられています。鏡像としては古くに位置付けられるものです。また、本来春日若宮神社に祀られていたと考えられる八王子神社の鏡像と懸仏は100点同時に出土しています。時期は鎌倉時代後半から南北朝頃のものですが、明治の神仏分離にともなって八王子神社の基壇中に廃棄、埋納されたと考えられています。多量の懸仏が祀られていた状況を示す事例として重要なものです。
今回の展示はこれらの資料を一同に陳列し、日本文化の特徴でもある神仏習合の信仰の一側面をうかがうことを目的とします。
|