メスリ山古墳

 茶臼山古墳に続いて造られた、墳丘長200mの前方後円墳である。1959・60年の発掘調査で、後円部中央に長方形の壇があり、その周囲を大型円筒埴輪と高杯形埴輪・円筒埴輪の列が二重に取り囲むことがわかった。そして、その中央に主室の竪穴式石室があり、やや東に離れた位置に、副室が造られていた。
 主室のなかはすでに盗掘にあっていたため、鏡の破片と玉・椅子形石製品・鍬形石・車輪石・石釧などと、鉄刀剣がのこっていたのみである。未盗掘の副室には、他に例のない鉄製弓矢と、212本以上の鉄槍先と、236本の銅鏃、50本の石製鏃、そして各種の鉄製農工具と碧玉製玉杖が納められていた。この副室は、亡き王を埋葬した主室にともなう副葬品の収納施設であり、それらは殯などの儀式に使用したものと考えることもできる。

メスリ山古墳 主室の副葬品

 主室の石室はおおきく破壊されていて、副葬品の多くは、石室床面の撹乱されたなかと流入土に含まれていた。出土品は、玉・石製品と鉄製武器、鏡片がある。
 石製品には、腕輪形石製品と容器形石製品、椅子形・櫛形石製品がある。鏡は破片になっていて、三角縁神獣鏡と2種の内行花文鏡があり、後者はともに舶載鏡と考えられる。
 また、原位置を保つように出土した鉄刀剣は、現状では多くの破片になっていて、完全な形をとどめたものはない。

メスリ山古墳 副室の副葬品

 未盗掘の副室には、多量の遺物が納められていた。まず212本の槍を南北に交互に向けて積み上げて、その上に鉄製弓矢、鉄刀剣、農工具、碧玉製品、さらに銅鏃と鏃形石製品を装着した矢を群ごとにまとめて置いていた。
 武器には、鉄製弓矢と銅鏃・鉄刀剣・槍先があり、碧玉製品では、4本分の玉杖と紡錘車形石製品や大型の管玉・石製鏃、さらに鉄製農工具も種類が豊富である。
 これらについて、「葬送儀礼の殯(もがり)に使用した用具を葬祭後に埋納した」と伊達宗泰氏は解釈された。


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