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  清水風遺跡(しみずかぜいせき)[天理市庵治町清水風・磯城郡田原本町唐古]
   
 

 天理市庵治(おうじ)町から磯城郡田原本(たわらもと)町唐古(からこ)にかけて所在する弥生時代の遺跡で、集落域と墓域が確認されている。
 集落は弥生時代中期後半と弥生時代後期前半の2時期あり、断続的に営まれていた。弥生時代中期後半の集落では、人々の生活を示すような木製品や石器、動物骨・種子などはほとんどなく、供献(きょうけん)土器や絵画土器、朱の付着した土器などが多く一般的な集落の土器構成と異なっている。そのため一般集落ではなく、祭祀場として捉えられている。墓域は弥生時代中期初頭の方形周溝墓(ほうけいしゅうこうぼ)と弥生時代後期末の方形周溝墓の2時期あり、集落の営まれた時期と異なっている。本遺跡の南南東600mに所在する唐古・鍵(からこ・かぎ)遺跡の墓域の一つと推定されている。以上の特徴から唐古・鍵遺跡との有機的な関係が想定されている。
 これまで行われた発掘調査で特に注目すべき遺構として、第1次調査と第2次調査で検出された遺跡中央を南北に縦断する弥生時代中期後半の河道があげられる。河道内から多量の土器、泥除(どろよけ)未成品、敲石(たたきいし)、鐸(たく)形土製品などが出土した。特筆すべき資料として、多量に出土した絵画土器と前漢鏡の破片があげられる。絵画土器の出土数は唐古・鍵遺跡に次ぐ全国2番目の出土量を誇っており、鹿・魚・人物・船・建物・矢などが描かれている。個別に描かれた絵だけでなく、連続して描かれた絵画土器も発見された。これはほぼ完全な形に復元された壺の胴部上半に、矢を打ち込まれた鹿、魚と簗(やな)、戈(か)と盾(たて)を持った鳥装(ちょうそう)の人物2人、高床建物が連続するように描かれていた。弥生時代の絵画土器の内容を理解するうえで大変貴重な資料である。鳥装の人物(シャーマン)を描いた土器はほかにもあり、当館で常設展示している。前漢鏡の破片は弥生時代中期から古墳時代初頭の土器を含む遺物包含層から出土したため時期を特定できない。しかし、近畿地方出土の前漢鏡は本資料を含めても3例しかなく、入手時期や入手経路など今後の解明が待たれる。

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