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  一町(かずちょう)〔新沢一(にいざわかず)〕遺跡[橿原市一町]
   
 

 橿原市一(かず)町に所在する弥生時代前期から後期にかけての奈良県を代表する集落遺跡である。東側の新沢(にいざわ)500号墳など新沢千塚(にいざわせんづか)古墳群のC区のある丘陵と西側を北流する曽我川(そががわ)に挟まれた平地部に立地する。その範囲は南北約700m、東西約250mと想定されている。東側の丘陵上には弥生時代後期初頭の高地性集落である上ノ山(うえのやま)遺跡があるほか、曽我川の西岸には弥生時代前期の環濠集落である川西根成柿(かわにしねなりがき)遺跡や、弥生時代中期の方形周溝墓群の拡がる観音寺本馬(かんのんじほんま)遺跡などがあります。
 一町(新沢一)遺跡は大正4年(1915)に発見されて以来、多くの研究者により注目され、発掘調査も10次を超えている。特筆すべき資料として、国指定重要文化財に指定されている弥生時代中期の水注(みずさし)形土器や、弥生時代後期の「土製の鋳型(いがた)外枠」が挙げられる。水注形土器は弥生時代中期の土器で、口縁部の片側に注ぎ口を有し、肩部にU字形の把手が取りつけられている。その形状から「水注(水差(みずさし))形土器」と呼ばれている。高さが21.9cm、胴部の最大径が15cmある。口縁部上端から胴部下半にかけて櫛描(くしがき)簾状文(れんじょうもん)、櫛描刺突(しとつ)文、波状(はじょう)文を施している。底部には木の葉形の透かし孔を交互に向きを変えて施した高台が取りつけられている。描かれた文様や使用された胎土から、大阪の河内地域からの搬入品と考えられる。昭和42年(1967)に国の重要文化財に指定された。土製の鋳型外枠は青銅器生産に関係する資料で、奈良県内では5遺跡でしか確認されていない。奈良盆地南西部で弥生時代の青銅器生産を示す唯一の資料である。このほか、一町(新沢一)遺跡は石庖丁(いしぼうちょう)に使用される石材で吉野川流域に産出する結晶片岩の奈良盆地への流通拠点の一つでもあった。水注形土器も大阪の河内地域から運ばれてきたものであることから、弥生時代中期以降、一町(新沢一)遺跡は交流拠点として、青銅器の生産地として栄えていたと考えられる。

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