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珠城山(たまきやま)古墳群〔桜井市穴師〕
 

 三輪山から纒向川を挟んだ北に穴師山があり、そこから西へ派生する支尾根の先端近くの頂部に珠城山古墳群が立地している。古墳群は東から西へ順に並ぶ1~3号墳の3基の前方後円墳で構成されており、6世紀の前半に2号墳、中頃に1号墳、後半に3号墳が築造された。
 1955年、土砂の採取によって1号墳の後円部横穴式石室が開口したことから、急遽4日間で石室の発掘調査がおこなわれた。1958年、再び土砂採取によって3号墳の後円部横穴式石室の石材が露出したことを契機に、古墳群全域の測量と、2号墳の墳丘に対する小規模な試掘調査、3号墳の後円部横穴式石室と前方部横穴式石室の発掘調査がおこなわれた。3号墳はその後の開発によって前方部の一部を除いて消滅した。1985年から1986年にかけて2号墳と3号墳の境界部分に対する発掘調査がおこなわれ、2005年には1号墳と2号墳の墳丘の範囲を確認するための発掘調査がおこなわれた。古墳群は1978年に国の史跡に指定されている。
 1号墳は墳丘長50~55m、後円部直径25m前後で、円筒埴輪を有する。石室は片袖式で玄室長3.4m、玄室幅1.6mを測る。玄室中央に置かれた組合式箱形石棺と側壁の間を中心に、須恵器、土師器などの土器類、轡、鞍、鐙、杏葉、雲珠、辻金具、飾金具などの金銅装馬具類、三葉環頭大刀、銀象嵌大刀、槍、鏃などの武器類、胡簶、挂甲などの武具類、刀子、鋏、釘、鎹などの工具類、金銅製、銀製、琥珀製、ガラス製の玉、耳環などの装身具類などが出土した。
 3号墳は墳丘長50m前後、後円部直径26m前後で、円筒埴輪と人物埴輪を有する。後円部石室は両袖式で玄室長4.7m、玄室幅2.1m、羨道長5.1m以上を測る。玄室中央に家形石棺が、玄門部に組合式家形石棺が置かれ、須恵器、土師器などの土器類、轡、鞍、鐙、杏葉、雲珠、辻金具、飾金具などの金銅装馬具類、捩り環頭大刀、大刀、槍、鏃などの武器類などが出土した。前方部石室は片袖式で玄室長4.4m、幅2.1m、羨道長4.4m以上を測る。須恵器、土師器、耳環などが出土した。
 6世紀代の三世代の首長墓が隣接して連続的に築造されており、互いの近親性が明らかであることや、墳丘や石室などの遺構や出土遺物の様相が判明している点で、出土した華麗な金銅装馬具のみでなく、古墳の被葬者を三輪君などの古代氏族に同定させる研究が可能な古墳群として注目される重要資料である。

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