アクセス 博物館トップページ > 大和の遺跡 > 古墳時代
南郷(なんごう)遺跡群〔御所市南郷ほか〕
 

 奈良盆地西南部の御所市に位置する縄文時代~室町時代の複合遺跡である。金剛山東麓の標高140m~250mの比高差のある扇状地上に展開し、高所からは奈良盆地が一望できる。葛城川の支流が形成する細かな谷が平地を分断し、決して住みやすい環境ではない。
 そのような環境下で、特に、古墳時代中後期の巨大な集落が著名である。それ以前にも遺構は存在したが、それを遥かに凌ぐ規模で、古墳時代中期初頭に1kmを超える範囲に様々な施設が展開したので、突如として出現した感がある。その古墳時代の集落は、5世紀前半~中葉の前半期と5世紀後葉~6世紀の後半期に内容が大きく分かれる。
 葛城地域集団の本拠地の一つであり、近くには葛城地域最大の前方後円墳である室宮山古墳や、風の森峠越えの南北道と水越峠越えの東西道とが交差する交通の要衝がある。
前半期は、韓半島系渡来人が推進する鉄器生産を核とした手工業生産を経済基盤とし、以下の諸施設群に分かれる。

  1. 祭祀儀礼関係…遺跡群南端の高所から低所にかけて、極楽寺ヒビキ遺跡(造り出し状の石貼り方形突出部に、家形埴輪そっくりの大型掘立柱建物と、その前面に広場を配置)、南郷大東遺跡(埴輪にも形象された、長さ4mにおよぶ大型木樋を擁する導水施設)、南郷安田遺跡(該期の列島最大の建物を擁するが、広場はない)が東西に並び、埴輪にも形象された、地域を統合するための一連の儀礼が執行されたと考えられる。
  2. 手工業生産関係…遺跡群西端の高所に南郷角田遺跡の複合生産工房(銀、銅、鉄、直弧文入り鹿角などを使用した豪華な製品を製作)を配置し、遺跡群内の各所で鉄器生産や玉造、ガラス玉生産などが展開した。
  3. 中間層居住区…遺跡群の中央部に配置され、南郷柳原遺跡の大壁建物や井戸井柄遺跡の掘立柱建物などの中型の建物を核とし、手工業生産に従事した集団を統括していたと考えられる。
  4. 一般層居住区…遺跡群の北部を中心に竪穴建物主体のグループが遺跡群内の各所に配置され、主に手工業生産に従事したと考えられる。

 後半期は、大壁建物が各所に樹立されて、技術者系ではなく知識人系渡来人が主導する集落へと大きく変貌した。その嚆矢として、高所に大型倉庫群(井戸大田台遺跡)、低所に居館状遺構(多田桧木本遺跡)が造営され、中間層の知識人系渡来人の居住区や一般層居住区が各所に配置された。
 上記の古墳時代集落に関する調査結果は、謎の多かった豪族(首長)麾下の集落の実態を明らかにし、「豪族(首長)居館」や「都市」を考える上で、学史上大きく貢献した。
 それ以外にも、縄文時代中期末~後期初頭の良好な土器群や古代の木簡などが出土した下茶屋地蔵谷遺跡や、石舞台古墳の1/2の企画の方墳であるハカナベ古墳などが注目される。

▲このページの上に戻る