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腕輪形石製品の出土状況 |
奈良県磯城郡川西(かわにし)町唐院(とういん)に所在する墳丘長200mの前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)である。奈良盆地中央の大和川支流の寺川・飛鳥川が合流する標高40mあたりの低地部に立地する。
江戸時代から昭和のはじめ頃にかけて本古墳の遺物が採集されており、珍石・奇石の収集家であった木内石亭(きのうちせきてい)が著した『雲根志(うんこんし)』に記載があるほか、当博物館のほか、周辺の旧家、東京国立博物館、天理大学附属天理参考館、アメリカのメトロポリタンミュージアム、デ・ヤング美術館などに、過去において本古墳から出土した腕輪(うでわ)形石製品や玉類などが収蔵・保管されている。
後円部の埋葬施設は、竪穴式石室と推定され、その天井石と推定される竜山石(たつやまいし)の加工石材が、本古墳のすぐ西側の比売久波(ひめくわ)神社や川西町の施設、旧家などにある。
発掘調査は、1988 年には外堤部の調査がおこなわれたが、その後1995 年の第1次調査から2009 年の第13 次調査までの14 年の間、奈良県立橿原考古学研究所と川西町によっておこなわれた。
1996年度の第2次調査では、前方部墳頂において粘土槨(ねんどかく)を検出した。粘土槨は,長さ10.5m、幅3.4mの墓坑内の北に寄った位置に構築されている。その規模は、全長8.5m・幅約2mである。長さ7.5mのコウヤマキ製割竹(わりだけ)形木棺を中央に安置し、粘土を2度にわたって被覆している。棺内には,被葬者が安置された部分に水銀朱が撒かれ,頭部付近からは銅鏡3面,石製合子(ごうす)3点,大型管玉(くだたま)状石製品5点,胸部付近からは首飾りとみられる管玉、手首付近からは管玉・丸玉をつなげた腕輪が出土し,鉄製刀子4点や竪櫛(たてぐし)も副葬されていた。
また、車輪石(しゃりんせき)80点、石釧(いしくしろ)32点、鍬形石(くわがたいし)21点の腕輪形石製品合計133点が被覆粘土の間から出土した。さらに棺上や被覆粘土からは、鉄小刀2点、鉄剣5点及び合計2,500点を越える玉類や琴柱(ことじ)形石製品も検出されている。これらは連なっていたものを切り離しばら撒いた状態であった。粘土槨出土品は、1998年に重要文化財に指定された。副葬品に武器がほとんど見られない点から,この主体部の被葬者は女性である可能性も指摘されている。
さらに、後円部と前方部の中間にもう1基埋葬施設が存在することが明らかになっている。その上面で範囲を検出しただけだが、鎌・刀子などの滑石(かっせき)製模造品と鉄斧などの遺物が出土している。
また、墳丘の調査では、3段築成の墳丘、各段斜面に葺かれた葺石(ふきいし)、段築平坦面中央の円筒埴輪を密に並べた埴輪列、東西くびれ部の後円部側に取り付く平面三角形を呈する造出しなどが存在することが明らかになっている。くびれ部からは、木製品や籠(かご)などの遺物も出土している。
古墳の築造年代は4世紀末葉、前期から中期への過渡期に位置づけられる代表的な大型前方後円墳であり、奈良盆地東南部のオオヤマト古墳群の首長系譜に連なるとみる見解と、葛城(かずらき)地域の首長系譜に連なるとみる見解とがある。 |