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猫塚古墳・猫塚北1号墳〔奈良市佐紀町寺畑〕
 

 特別史跡平城宮の北側に松林苑(しょうりんえん)跡がある。『続日本紀(しょくにほんぎ)』には、天平元年(729)3月3日、聖武天皇が松林苑に群臣を集めて宴を催したという記事を最初に、以降、たびたび饗宴が開催された。松林苑は、塩塚古墳・オセ山古墳・コナベ古墳など4世紀後半~5世紀代に築造された佐紀古墳群西群の一部を内部に取り込み、その外周は築地塀(ついじべい)で取り囲まれていた。
 猫塚古墳は、墳丘長120mほどの前方後円墳であったと考えられるが、松林苑の南側築地の位置にあたっており、古墳は大きく改変されている。1953年に、土取りにともなって緊急の調査が実施された。埋葬施設は、全長4.6m、幅1.28mを測る竪穴式(たてあなしき)石室(せきしつ)で、割竹形木棺を安置していたと考えられる。石釧(いしくしろ)21点、直刀8点、短剣(鎗先)22点が出土した。出土品は、奈良国立博物館に収蔵されている。このほか、神人車馬画像鏡(しんじんしゃばがぞうきょう)、鉄刀、車輪石、碧玉製管玉(へきぎょくせいくだたま)、翡翠製勾玉(ひすいせいまがたま)などの遺物が出土したという記録もある。
 さらに古墳北側で、1983年に発掘調査が実施され、粘土槨が検出された(猫塚北1号棺)。古墳北側の外堤上の棺か、あるいは、陪塚(ばいちょう)的な位置にあった古墳の埋葬施設と考えられている。粘土槨からは、腕輪形石製品(うでわがたせきせいひん)・合子(ごうす)・管玉・勾玉が出土している。腕輪形石製品は、それぞれ形態を違えた車輪石5点、石釧6点が出土している。石釧には、3点の滑石製のものが含まれる。そのうち、1点には鋸歯文(きょしもん)が両面に刻まれており、原型の貝輪からは完全に遊離した文様を施している。
 猫塚古墳と猫塚北1号棺は、古墳時代前期後半代の同時期に築造されたものであると考えられる。猫塚古墳は、佐紀古墳群のなかでは比較的早い段階に築造された中規模の前方後円墳であり、同時期の墳丘長200m以上の大型前方後円墳と考えられる佐紀陵山古墳(さきみささぎやまこふん)や佐紀石塚山古墳(さきいしづかやまこふん)との関係が注目される。さらには、猫塚古墳からみれば、その従属的位置にある北1号棺に豊富な副葬品が納められていることから、この両者の関係も注目される。

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