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宮滝(みやたき)遺跡〔吉野町宮滝〕 | |
宮滝遺跡は早くに知られており、明治から大正には地元の郷土史家たちによって吉野離宮説が唱えられていた。昭和4年(1929)9月の奈良県史蹟調査会で発掘調査の必要性が説かれたことをうけて事前調査が実施され、昭和5年(1930)10月から同13年(1938)にかけて第1次調査が実施された。調査では、奈良時代の瓦や土器が多数出土し、広い範囲で敷石遺構が発見されたことによって、吉野離宮の可能性が高まった。 |
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