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宮滝(みやたき)遺跡〔吉野町宮滝〕
 

宮滝遺跡全景(南から)

 宮滝遺跡は早くに知られており、明治から大正には地元の郷土史家たちによって吉野離宮説が唱えられていた。昭和4年(1929)9月の奈良県史蹟調査会で発掘調査の必要性が説かれたことをうけて事前調査が実施され、昭和5年(1930)10月から同13年(1938)にかけて第1次調査が実施された。調査では、奈良時代の瓦や土器が多数出土し、広い範囲で敷石遺構が発見されたことによって、吉野離宮の可能性が高まった。
 現在までの調査によって、国道より北側のより高い場所で斉明朝から持統朝頃の園池が、吉野川に接した平地で聖武朝頃の建物群および敷石が確認されている。こういった成果から、宮滝遺跡は、斉明天皇が造営し、持統天皇が頻繁に行幸した吉野宮であり、また、聖武天皇の吉野離宮であったと考えられている。
 2017年度の調査では、周囲に敷石があって9間×5間という正殿級の大型建物が確認され注目を集めている。

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