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御坊山(ごぼうやま)3古墳〔生駒郡斑鳩町龍田北〕
 
御坊山3号墳の石槨発見状況

 生駒郡斑鳩町龍田北に所在した終末期古墳で、法隆寺中門からだと南西へ約850mに位置する。宅地の造成中に偶然発見された3基の古墳のうちの一つで、古墳自体は現存しない。埋葬施設は、大きな花崗岩を刳り抜いた蓋石と底石を組み合わせた横口式石槨であり、石槨の内部には漆塗(うるしぬり)陶棺(とうかん)が収められていた。陶棺内に残っていた人骨から、被葬者は身長150㎝前後の男性で、年齢は14~15歳だと考えられている(『青陵』58)。
 横口式石槨の大きさは、蓋石が長さ275㎝、幅158㎝、厚さ97㎝、底石が長さ298㎝、幅144㎝、厚さ56㎝、閉塞石は幅105㎝、高さ86㎝、厚さ35㎝である。石槨内部の広さは、奥行225㎝、幅71㎝、高さ52㎝である。各部材は切石加工されたものではなく自然石を利用したものだが、石槨(せっかく)の内側にあたる面を平滑に加工している。石槨内面には漆喰が塗られており、2015年度の再調査によって、蓋石と底石の接合部分にも漆喰が塗られていたことが判明した。
 漆塗陶棺は、底に3列7個の合計21脚がつく棺身に棺蓋が組み合う。大きさは、棺蓋が全長156㎝、幅47.2㎝、高さ25㎝、棺身が全長157㎝、幅47.8㎝、高さ25㎝で、棺身の内法は、全長146㎝、幅36㎝、高さ20㎝である。棺蓋の短側面には直径6.5㎝ほどの円孔があり、焼成後に陶栓でふさいでいる。また、棺蓋には、ひび割れの補強と考えられている、長さ13.7㎝、幅7.3㎝の楔形銅板がはめ込まれている。棺身の脚部は、焼成後に水平に大きく削られており、現状では、脚部のもっとも高い棺身の短側面側で5㎝程度しかない。焼成後に削った痕跡は、棺身の上端部や棺蓋の棺身と組み合う部分にもみられる。これらは、陶棺を石槨内に収めると高さの余裕が5㎝しかないことから、陶棺の高さを低くおさえるための加工と考えられる。
 陶棺内には、三彩有蓋円面硯を被葬者の頭部右側(右耳側)に、筆の軸と考えられるガラス管を被葬者の頭部左側(左耳側)に副葬していた。また、被葬者は琥珀製の枕に寝かされていた。これらの遺物は、国内でも唯一の例で大変貴重である。三彩(さんさい)有蓋(ゆうがい)円面硯(えんめんけん)は、蓋の最大径が6.7㎝、陸の直径が3.5㎝ほどしかない小さなもので、水滴が垂れるような形から「滴脚」とも呼ばれる脚部が10個とりつく。胎土や釉薬、滴脚硯の流行時期などから、7世紀初頭から中頃に中国で製作されたものと考えられており、唐三彩としても初期の製品とされる。ガラス管は、隋の大業四年(608)に埋葬された李静訓の墓の副葬品に類似品があることから、三彩有蓋円面硯とともに中国からの舶載品であろう。なお、御坊山3号墳の副葬品と漆塗陶棺、横口式石槨は、国の重要文化財に指定されている。

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