下池山古墳の木棺 
奈良県立橿原考古学研究所附属博物館 特別陳列 No.3(1996年1月9日〜1月21日)



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石室と木棺
竪穴式石室と
木棺
石室内の木棺
石室内の木棺
木棺の身と蓋
木棺の身と蓋
西から見た墳丘
西から見た
墳丘
点在する古墳
点在する古墳
 下池山古墳は、天理市の東南部の成願寺町にあります。このあたりは約20基の古墳が集中しており、大和古墳群と呼ばれています。この古墳群は、西殿塚古墳や中山大塚古墳などの大型の前期古墳が主体で、しかもその群中に前方後方墳が数基みられることから注目されてきました。今回の調査は、従来より不明な点の多い大和古墳群について基礎的な資料を得るためのもので、本年の8月9日より実施しています。その結果、石室内から遺存状態がよい木棺が出土するなどの成果を得ました。
 墳丘 古墳は、西に下る傾斜地上に造られています。前方部を南に向けた前方後方墳で、測量の結果、全長120m、後方部の幅57m、高さ14m、前方部の長さ60m、高さ7.5mであることがわかりました。ただし、前方部の南端が削られているので、本来はもう少し大きかったと思われます。後方部に3ヶ所のトレンチを設定して発掘した結果、葺石の一部を見つけました。また、墳丘の傾斜が緩くなるところがあるので、途中に段がつくものと思われます。埴輪は、全く出土していません。
 埋葬施設 遺骸を葬るための埋葬施設は、後方部の中央に造られた竪穴式石室です。石室を造るためには、まず長さ18m、幅12m、深さ3.5mあまりの大きな墓壙を掘り、その底に粘土を敷いて棺を据えます。そして棺の周囲に板状の石を積み上げて空間を作り、天井石をかぶせます。石室の規模は、長さ6.9m、最大幅1.3m、最大高さ1.8mで、四壁は内側に向かって傾斜をつけるために、天井の幅は狭くなっています。石室の幅は北側が広く、床面も北側が高くなっていることから、遺体は頭を北に向けていたと思われます。石材は、大阪府柏原市の芝山から産出されるカンラン石安山岩を使用しており、約18qの距離を運んだものです。天井石の上には、厚さ10cmの赤色土を敷き、さらに間層を挟んで、その上には厚さ10cmの粘土で石室全体を亀甲状に覆っています。粘土の上下面には麻布を敷いていました。また石室の側壁から墓壙の壁までは、裏込めの板石と礫によってつめられており、被覆粘土とともに水はけをよくする工夫のひとつとみられます。
 木棺 石室内より割竹形木棺を1基検出しました。コウヤマキの大木を縦に割り、中を刳り抜いてそれぞれ蓋と身にしたもので、蓋は長さ1.5m、身は長さ5.2m残っています。盗掘のために木棺の両端は失われていましたが、もとは長さ6.4mほどあったと思われます。身の横断面形は、外面は半円形、内面は浅いU字形をしています。身の中央では、外径65p、高さ40cm、深さ18cm、底の厚さ22pを測りますが、北端が南端に比べて広くなっており、石室の形態と合わせて遺骸が北枕であったことがわかります。内面には朱が付着していました。また、南端付近で一部刳り残している部分があり、全体に対して刳り抜いていた範囲は意外に小さかった可能性があります。
 石室は古くに盗掘を受けていたために、副葬品はほとんど持ち去られていました。わずかに鉄器片、ガラス玉、勾玉、腕輸が残っていました。
 通常、古墳に納められた木棺は、長い年月の間に腐朽して無くなっており、今までは、棺床に残された痕跡から外形を推測するに過ぎませんでした。今回の調査で出土した木棺は、外形は無論のこと、底の厚みと内部の刳り抜きの状況までわかるほど保存状況の良いものです。しかも前期古墳の中では最も古いもので、貴重な資料といえます。