川西町 島の山古墳 現地説明会資料(1996年5月)



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周辺図
島の山古墳と
周辺の古墳
古墳全景
古墳の全景
埋葬施設の位置
前方部埋葬
施設の位置
石製腕飾類
粘土槨南側の
石製腕飾類
棺内遺物
棺内の遺物
出土状況
粘土槨
粘土槨
1.はじめに

 島の山古墳は、奈良盆地の中央部、磯城郡川西町大字唐院、寺川と飛鳥川とに狭まれた標高48mの微高地に立地しています。この付近には約20基の古墳が存在しますが、その内容はあまりわかっていません。その中で島の山古墳は、全長190mの周囲に周濠がめぐる前方後円墳であり、奈良県下の前方後円墳300余基中、第20番目の規模です。
 この古墳からは、明治年間に多量の石製腕飾類が出土しています。その際、竜山石製の石室天井石が掘り出され、古墳から運び出されています。現在、島の山古墳に隣接する比売久波神社などに置かれています。しかし、この古墳は、従来調査らしい調査がほとんど実施されておらず、平成6年度に、はじめて島の山古墳の今後の保存と活用に向けての基礎的な資料の集積を目的として前方部に試掘溝が設けられました。その結果、表土下約30cmの比較的浅い箇所から埋葬主体と考えられる遺構が検出され、一部石製腕飾類もみつかりました。今回の調査は、耕作土直下にある埋葬主体の範囲を明らかにし、畑耕作による埋葬主体部の損傷の防護を考える必要性もあり、2月26日から調査を実施しています。

2.調査の概要

 今年度の調査は、旧年度に検出した埋葬主体部の方向・規模を確認するため東西14m、南北5.5mの調査区を設定しました。そして、この調査区に丁度納まる形で表土下約30cmで墓坑(棺を納める坑)を確認しました。墓坑は、東西10.5m、南北3.4m、深さ40cm、古墳主軸に直交するように東西に設けられています。この墓坑の中には、全体的に墓坑北壁に寄せるように埋葬主体部である蒲鉾形の粘土槨(棺を粘土で包む様に作り上げられた施設)が構築され、その規模は全長8.5m、幅東側で約2.0m、西側で約1.6m、高さ約40cmですが、東側がやや広く、わずかに高くなっています。この粘土槨には2回にわたって被覆粘土(棺を包む粘土)が施され、その最上面には赤色顔料(ベンガラ)が全面に塗布されています。
 この赤色顔料の塗布された面の直下の粘土槨南側面及び墓坑内にて滑石製玉類がばらまかれた状態で出土し、特に東に勾玉が分布し、西には臼玉を中心に玉類が見られました。
 槨の中央部は、明らかに木棺の腐朽による被覆粘土の陥没痕跡であると認められました。この粘土槨は、被覆粘土の一部に開墾や植樹による撹乱の痕跡が存在するものの、明らかに盗掘された痕跡は認められない遺存状況の良好な埋葬主体部です。
 石製腕飾類は、南海産の貝製の腕輸を模したもので緑色凝灰岩や碧玉製です。今回の調査では車輸石(オオツタノハ貝・カサ貝)、鍬形石(ゴホウラ貝)、石釧(イモ貝)の3種類、約140点が出土し、1枚目の被覆粘土東端部から約1.5mあたりから西端から約1.5mあたりまで約5mの間に分布しています。現状ではあたかも棺内遺物のように見えますが、中央やや西側の陥没状況から判断すると、明らかにそれらは被覆粘土上面に置かれたものです。
 これら石製腕飾類の中で東半部に車輸石が集中し、西半部こは鍬形石、石釧が集中する箇所が見られます。しかし、これらの中には車輸石が点在し、腕飾類西端も車輸石が配されています。現在、被覆粘土上面には車輸石約80個、鍬形石21個、石釧31個が配列されています。これらのうち石釧が集中する箇所ではそれぞれ異なる車輸石の破片が、故意に納められています。
 車輸石は、表がすべて上向きに置かれ、鍬形石や石釧とは異なった状況をみせています。また、今回の腕飾類の出土状況を見てみると最も量の多い車輸石がかなり重要な位置を占め、配置されていたことがうかがえます。しかし、特別な配列単位は認められません。さまざまな大きさや形状のものがあり、最大の大きさは、長径22.5pもあります。
 鍬形石は、棺中央南側の被覆粘土上から21個出土し、基本的に鍬形石は、5〜6個を単位として配列され、上下、裏表を意識して配列しているように見えます。21個の鍬形石の内一個だけが滑石製です。これらも大きさ、形状は変化を富み、最大長で19cmもあり、また刻線で表面を飾ったものもあります。
 石釧は、26個が棺中央南側の被覆粘土上、鍬形石の西側に4〜5個が単位となるように配置されています。これらは、大きさ、形状が各々異なり、最大で径約11.4pもあります。
 このように多量の石製腕飾類が出土していますが、これらの石製品の上には、上面の被覆粘土上でおこなわれていた玉類をばらまく行為が同じように実施され、東半部では勾玉、西半部では臼玉を中心に出土しています。その数は、現在まで1,300個あまりになります。
 さらに検出遺物の棺西南側では鉄製品が5点出土しています。これらは、小刀などです。

3.まとめ

 今回の島の山古墳の調査は、前方部埋葬主体部の規模の確認を主眼として実施しています。その結果、想像以上に遺存状況の良好な粘土槨を検出することができました。さらにこの粘土槨には多数の石製腕飾類が埋納されていることが判明し、これらが棺を被う被覆粘土の中に封じ込められたかのように配置されていました。このような状況で石製腕飾類が多量に出土した例はかつてなく、古墳時代を考える上で非常に重要な資料といえます。
 この古墳は4世紀末頃に築造されたと考えられます。しかし、まだこの調査は半ばに過ぎず、今後の調査によってさらにこの古墳の性格を解明できるものと思われます。