御所市ドント垣内古墳群の調査

現地説明会資料(2004年9月1日)


調査機関奈良県立橿原考古学研究所
所在地御所市伏見
調査期間平成16年4月19日〜現在調査中
調査原因県営圃場整備事業(葛城西地区)
調査面積1,900u(平米)[事業面積:25,000u]
主な遺構6世紀末〜7世紀初頭の古墳3基
主な遺物須恵器、土師器、耳環など
現地説明会9月4日(土)午前10:00〜午後15:00


1.はじめに
奈良県立橿原考古学研究所は、御所市伏見地内で県営圃場整備事業に先立って、2004年4月から発掘調査を実施しています。調査地は、金剛山から東にむかって派生する尾根の中でも、南北への眺望が最も開けた場所に位置します。この尾根筋には古墳時代後期の古墳が点在しており、その中の4基がドント垣内(かいと)古墳群として報告されていました。今回の調査によって、4号墳に隣接する水田下に3基の古墳が埋没していたことがわかり、それぞれを5・6・7号墳と名付けました。

2.発掘調査の成果
 4号墳 高さ約2mの墳丘が残っている古墳です。四周が後世の削平を受けているため、墳丘を区画するような遺構が確認されず、墳形は不明です。墳丘は、現状のまま保存されるため調査をしていません。
 5号墳 調査地西半の最も眺望の良い場所に位置します。南に向かって傾斜する斜面に造られた段築のある方墳で、現在2段分確認しています。古墳群中最も規模が大きく、各段に貼石を施しています。上段は、南側が削平されていますが、一辺約13.5mの方形であったと考えられます。墳丘背面にコの字状の周溝を造り、溝の外側にも貼石を施しています。下段は、上段南側に付設し、東西の長さは16.5mあります。平らな面を上に向けた石が一部残っていることから、平坦面には石が敷かれていたようです。斜面の下位にのみ段築を設けることによって、正面からの見た目をより大きくする効果が得られます。主体部は今回発掘調査を行いませんが、南に開口する片袖式の横穴式石室で、検出段階での全長はおよそ7mです。玄室の天井石が抜き取られていますが、入口部に閉塞石が残っています。
 6号墳 4号墳と5号墳の間で検出した小石室で、石室長は約2.4mです。後世の破壊が著しく基底石しか残っていません。墳丘規模は不明です。金銅製の耳環が2点出土しました。
 7号墳 5号墳の下段東南部で検出した古墳です。主体部は南に開口する片袖式の横穴式石室で、石室長は約6.0mです。この古墳は5号墳の下段貼石の裾を埋めて、墳丘を造っています。石室内は撹乱を受けていましたが、入口周辺に須恵器片・耳環・鉄釘が散乱しており、これらの出土遺物から、6世紀末から7世紀初頭に築造されたものと考えられます。

3.まとめ
 今回検出した古墳の中で最も注目されるのは5号墳です。全面に施された貼石と段築の構造は、全国的にも例の少ないものです。築造時期は、7号墳との関係より、6世紀末から7世紀初頭より新しくならないと考えられます。斜面下位に段築を造る方墳は、大阪・京都・岡山等で確認されていますが、いずれも7世紀中葉以降のもので、5号墳はこれらの中でも初現的な古墳といえます。また、貼石を施す古墳は、畿内を中心に7世紀前半以降にみられるもので、5号墳はその中でも早い時期に位置することになります。5号墳は、7世紀代にみられる墳丘構造をいち早く採用した古墳として、古墳の形態・構造の変遷を解明する上で非常に重要な古墳といえます。金剛山東麓では、南郷ハカナベ古墳が墳丘の全面に貼石を施すほぼ同時期の方墳として知られていますが、5号墳のような段築構造はみられません。調査地周辺では、西北窪遺跡の掘立柱建物群や朝妻廃寺といった7世紀後半以降の遺跡は確認されていますが、5号墳の造られた時期についてはわかっていない部分が多く、6世紀から7世紀の葛城地域を語る上でも重要な古墳となるでしょう。
 今回の事業地内に所在する古墳については、現状のまま保存される4号墳の他も全て盛土保存されることとなりました。

調査地と周辺の古墳
第1図 調査地と周辺の古墳

5号墳模式図
第2図 5号墳模式図(破線は推定復元)


調査地全景2
写真2 調査地全景2(南西から)

5号墳南西隅
写真3 5号墳南西隅

本資料は、奈良県立橿原考古学研究所 十文字 健が作成した。