|
大和郡山市八条北遺跡(B地区)遺跡発掘調査 現地説明会資料(2004年3月27日)
1.方形周溝墓
(1)方形周溝墓の数 従来、弥生時代の集落遺跡が知られていなかったこの地域で、弥生時代の方形周溝墓46基を確認しました(溝の一部を検出したものを含む)。前年の八条北遺跡A地区の調査で確認した4基を加えると、計50基になります。 奈良盆地の調査例には、橿原市土橋遺跡24基、奈良市柏木遺跡18基、田原本町阪手東遺跡17基が知られています。 今回の調査での検出数はそれらを上回り、検出数としては県下最多の事例となります。 (2)方形周溝墓の形態・規模・時期 平面形は、長方形が主です。 規模には差があり、長辺の長さ7〜12m、短辺の長さ4〜10m(周溝内法)を測ります。面積で比較すれば、約130uを測る7号墓が最大で、約40uを測る20号墓が最小です(他は付表参照)。 周溝には、完周するもの、四隅の一箇所が掘削されていないもの、四隅の複数箇所が掘削されていないもの、の3者がある。また18・19号墓と20・21号墓は、溝を共有しています。 墳丘盛土は残存していませんでした。周溝の堆積土には、地山層の粘土ブロックがあり、墳丘盛土の再堆積とみられることから、もともと墳丘が存在したことは確実と考えられます。 周溝からは底より浮いた状態で完存率の高い土器が出土しました。これらの土器は、方形周溝墓に対する供献土器が転落したものと考えられます。出土土器の時期は、おおむね弥生時代中期頃(第U様式新〜第V様式古)のものと考えられます。 (3)埋葬施設 墳丘上部が削平・流失したために、墳丘上面に埋葬施設は遺存していませんでした。13号・20号墓上面の土坑1・2も、土層の観察および遺物の出土状況や、近畿の方形周溝墓の通例である長方形墓壙・箱式木棺との比較からも、埋葬施設であると特定することはできませんでした。 (4)甕棺 7号墓の周溝北西隅で、甕棺(合わせ口甕棺)を1基検出しました。埋没した周溝に墓壙を掘り、甕の口を上にして垂直に設置し、壺を蓋に用いていました。甕の高さ50cm・口径30cmを測ります。蓋として使われていた壺は、削平によって粉砕されており、法量など詳しいことは不明です。 (5)方形周溝墓の形態と分布 中央から東には、東・西辺が南北を向くもの(A類)が集中(10・13・21・39号墓を除く)します。このA類に取り囲まれるようにして、東・西辺が北西を向くもの(C類)が点在しています。またA・C類の方形周溝墓は、大形のものを核として、小規模なものが付帯するような分布を示しています。 北西部には、東・西辺が北北西に振れるもの(B類)が集中します。これらの方形周溝墓は、規模がおよそ均等なものが、列状に分布しています。 このように方位を異にした方形周溝墓のまとまりにより、群が形成されていることについては、時期差・造営集団差等の要因が考えられます。このことについては、今後の周溝出土土器の検討によって、群形成の過程が復原できるものと考えています。 2.その他の遺構 (1)溝1 南北に走る古墳時代後期(6世紀前半頃)に埋没した溝で、検出長約85m・幅1〜3m・深さ約1.5mを測ります。45号方形周溝墓の西辺を破壊しています。下層からは弥生土器が僅かに出土しましたが、上層からは6世紀前半頃の須恵器が出土しました。北端部の上層からは管玉1点しており、方形周溝墓の着装品が流入した可能性が高いと考えられます。 (2)溝2 南西方向に走る古墳時代後期(6世紀前半頃)に埋没した溝で、検出長約110m・幅約1m・深さ約0.3mを測ります。埋土中からは、6世紀前半頃の須恵器が出土しました。 3.まとめ 今回の調査の最大の成果は、従来、弥生時代の遺跡が知られていなかった当地域において、大規模な方形周溝墓群を確認したことにあります。そしてその数は、検出数としては県下最多となります。今後の周溝出土の土器の検討によって、方形周溝墓群の形成過程を明らかにできれば、奈良盆地の弥生時代の墓制を考える上で、基本資料になると思われます。 なお、この方形周溝墓群を造営した集落遺跡は、調査地周辺ではいまのところ確認されていません。今後の調査に期待されます。 ![]() 方形周溝墓一覧表 ![]() 第1図 調査地位置図 ![]() 第2図 弥生時代遺構平面図 ![]() 写真1 調査区全景(南方上空より) 本資料は、奈良県立橿原考古学研究所本村充保・相見 梓が作成した。 |