マバカ古墳前方部・周濠発掘調査 記者発表資料(2002年11月18日)


調査機関奈良県立橿原考古学研究所
所在地奈良県天理市成願寺町
調査原因県道天理環状線建設工事
現地説明会2002年11月24日午後1時から


1.はじめに
 マバカ古墳は、奈良盆地東部の大和古墳群萱生支群中に存在する前方後円墳です。東には波多子塚古墳、西には馬口山古墳、南には栗塚古墳があり、北にはノムギ古墳、ヒエ塚古墳があります。墳丘規模は現状で全長74m、後円部径43m、前方部幅26m、後円部高7m、前方部高2mを計ります。墳丘西側に県道天理環状線の建設が計画されており、奈良県立橿原考古学研究所が2002年8月12日より事前の発掘調査を行ってまいりました。現在までに墳丘西側の約500uを調査し、旧河道、墳丘裾廻りのバラス敷き、濠状区画、中世の素掘り小溝などを検出していますので、その概要と現時点での所見を説明いたします。

2.調査の成果
墳丘前方部の墳端 調査区北地区の東端に、30cmから50cm大の黒雲母花崗岩7石がほぼ水平かつ直線的に並んでいる状態で検出されました。いずれも加工されており、墳丘の基底石である可能性があります。
墳丘裾廻りのバラス敷きと板石 調査区北地区の北東部では前方部隅角の延長線上に30cm大の板石が7石ほどあり2、3箇所に集中して見られます。大阪府柏原市の芝山付近産の安山岩と見られます。この石材は下池山古墳の竪穴式石室にも使用されています。板石集中部の周辺から南にかけて、握り拳大の花崗岩のバラスが集中しています。原位置は失われていますが堆積の様子からは全体にずり落ちたような部分がありますので、墳丘裾廻りのやや平坦な面にバラスが敷かれていたものと考えられます。
濠状区画 墳端部分から西へ13mから14m離れたところに垂直に近い立ち上がりがあって、その間が落ち込んでいます。落ち込みは墳丘主軸線より北側では深さ20cm程度、南側は深さ90cm程度で南側だけが一段深く池状になっています。また、この深い部分は平面が台形を呈していて、前方部南側隅角部分の外側までは掘削が及んでいません。深い部分は湧水が認められます。埋土中の遺物の大半が土器の小破片でした。整理作業も途中ではありますが、最下層出土土器は庄内式から布留式初頭の範疇で捉えることができます。これらの古式土師器には壺、甕、高杯、鉢、手焙形などの器種が含まれ、さらには瀬戸内地方などの外来系土器も少量ながら認められます。上に述べた落ち込みの埋土上層には須恵器や黒色土器、瓦器などの小破片が含まれます。その上面に東西方向の素掘小溝が多数検出されており、濠状区画埋没の後、中世には一帯が耕作に利用されていたことがわかります。

3.まとめ
 今回の調査は、前方部に接する幅15mほどに限定された部分の調査であって不明な点も多いのですが、墳裾ラインや濠状区画の立ち上がりのラインが南北方向を示す点からは、方位を強く意識して古墳が築造された可能性が伺えます。また、濠状区画と池状の落ち込みは、形状があまり類例のないものです。池状の落ち込みの平面形がこのような形となったのは、墳丘主軸線を意識して南側を一段深く掘削し、南側の隅角を意識して斜めに掘削したためと考えられます。古墳の築造年代については、確実に古墳に伴うと考えられる遺物がないため確証がえられませんが、土器の年代からは庄内式〜布留式初頭期の可能性が考えられます。大和古墳群萱生支群の中では、この時期にさかのぼる全長100m以下の古墳は現在のところ知られていません。南の纒向古墳群(箸中古墳群)中の纒向石塚古墳や纒向勝山古墳などは、庄内式〜布留式初頭期の築造とされており、それらの古墳と対応させて考える必要がありそうです。

マバカ古墳墳丘と調査区
マバカ古墳墳丘と調査区



調査区全景
調査区全景垂直写真



前方部北西隅角部をのぞむ
前方部北西隅角部をのぞむ



前方部南西隅角部をのぞむ
前方部南西隅角部をのぞむ



池状の落ち込み
池状の落ち込み



前方部墳端の列石
前方部墳端の列石



 本資料は、奈良県立橿原考古学研究所主任研究員坂靖、同技師米川裕治、同嘱託相見梓が作成した。