桜井茶臼山古墳範囲確認発掘調査 記者発表・現地説明会資料(2003年3月24日)


調査機関奈良県立橿原考古学研究所
所在地奈良県桜井市外山(とび)
調査原因範囲確認調査(国庫補助事業)
現地説明会2003年3月29日(土) 午前10時から午後15時


1.はじめに
 桜井茶臼山古墳は、奈良盆地の東南端(桜井市外山)に所在する、古墳時代前期前半(4世紀初頭)の前方後円墳です。周辺は古代に磐余とよばれた地域ですが、そのなかでも古墳の築かれた場所は、奈良盆地を一望できるだけでなく、北には三輪山がそびえ、また東に続く初瀬谷の口を押さえる好所でもあります。

2.古墳の概要
 墳丘 墳丘は、南にある鳥見山から北へのびた尾根線を切り離し、成形して基底部とし、その上に東西の谷を掘削して得た土砂を盛り上げて築いたものです。後円部を北に、前方部を南に配した墳丘の規模は、全長約207メートル・後円部径約110m・同高約23m・前方部幅約61mを測ります。
 墳丘の平面形は、柄鏡形を呈する前方後円墳の典型とされ、まっすぐに延びる前方部を特徴としています。またその立面形は、前方後円形の段築を2段重ねた上に、後円部だけに円墳状の3段目を築いた特徴的なものです。  後円部上面には、二重口縁壺形埴輪で囲まれた、東西約9.8m・南北約12.3mを測る方形壇状遺構があり、その地下には竪穴式石室が南北方向に築かれています。また墳丘の周囲には、一段低く掘り下げられた、逆台形の平面形をもつ周濠状の遺構があります。その規模は、前方部南側で東西幅約100m、後円部の東西で幅約150mを測る大規模なものでしたが、現在は古墳の西側に一部分が残されています。こうした墳丘と周濠の一部は、1973年3月に国史跡に指定されています。
 竪穴式石室 竪穴式石室は、1949年に発掘調査がおこなわれました。後円部上面から約0.8m下に埋め込まれた石室は、南北6.75m・東西1.13m・高さ約1.6mを測る大形のものでした。12枚の天井石と垂直な側壁、そして板石が敷き詰められた床面によって形作られた石室には、大きな木棺が納められていました。残念ながら盗掘を受けていたために、副葬品は多くが失われ、また埋葬時に置かれた位置から移動していました。遺存した遺物には、鹿角をかたどった玉杖や玉葉、そして銅鏃・鉄鏃・鉄剣・鉄刀の武器類や石製腕飾類、さらに内行花紋鏡・方格規矩鏡・三角縁神獣鏡・画紋帯神獣鏡・斜縁二神二獣鏡等の約20面分の銅鏡片があります。それらは研究所附属博物館で公開しています。

3.調査の内容
 調査は、東くびれ部と周濠状遺構2箇所の計3箇所でおこないました。
 東くびれ部 東くびれ部はかつて畑として利用されていた場所であり、その開発の際に墳丘が切り崩されていました。1972年には、後円部裾の位置と形状を明らかにする目的で発掘調査がおこなわれ、後円部葺石の基底部が確認されています。今回の調査では、この葺石を再検出した上で、南西に調査区を広げ、くびれ部を確認することを目指しました。その結果、1972年調査の葺石基底部がそのまま遺存していることを確認しました(第1トレンチ)。また、破壊されてはいたものの、くびれ部の葺石基底部を構成していた、石材の抜き取り穴を確認することができました。確認した葺石基底部は長さ約5.5m、高さ0.75mを測り、現くびれ部より南東に約6.5m、現前方部裾より約5m東に位置しています。この葺石基底部は、大きな石材を石垣状に積み上げたものです。その石組みの手順をみるに、最下段の大きな石材は、穴を掘って据付けたものです。これらの石材が十分に根止めとしての役割を果たすように、次に上へ置かれた石材は、墳丘内側に半石分よせて積みはじめられています。こうした石組みの方法は、上部の葺石の荷重をより強く支える工夫と思われ、他の前期古墳の葺石裾が単純な石垣状を呈するのと比較して、丁寧な造りといえます。
 東側周濠状遺構 東側周濠状遺構の調査は、2箇所でおこないました。くびれ部の東に位置する調査区では、周濠状遺構の東法面と底面が確認されました。この場所での本来の土層は、上から黄褐色砂壌土→黄褐色粗砂→黄褐色砂壌土→黄褐色粗砂と続きます。これらの土層は、風化した花崗岩の土砂が斜面地形に水成堆積してできたものです。したがって古墳築造前の東側周濠部分の地形は、浅く広い谷地形であったと推定されます。また東法面上には、弥生時代後期末から古墳時代初頭の所産と推定される方形住居跡がありました。この住居跡が廃された後に古墳は築造されており、後円部上の二重口縁壺形埴輪が示す古墳の完成時期(布留式)と齟齬はありません。  前方部先端の東に位置する調査区では、北へ下る黄褐色砂壌土の傾斜面(周濠状遺構の底面)を確認しました。この場所での標高とくびれ部のそれを比較すると、長さ約90mを測る前方部の東裾は南北で約5.8mの高低差があり、その傾斜角は約4°と復原されます。つまり前方部の裾は北にいくほど低い位置に造られたものであり、したがって前方部第1段段築の東斜面長は、南が最も短く、後円部に近づくにつれて長く造られていたことになります。同様に、北へ下る斜面に築かれた後円部も、第1段段築の斜面長は北にいくほどに長くなると推定されますから、後円部裾の平面形は南北に長い楕円形に復原することができます。

3.まとめ
 今回の成果をまとめると、次のようになります。古墳は北へ下る尾根とその東西の緩やかな谷地形を利用して築かれたものです。尾根を切り離し、成形を加えて墳丘の基底とした後に、東西の谷地形を周濠状に掘削し、その土砂を利用して墳丘を築いていました。こうして完成した墳丘の平面形は、東くびれ部の位置からみて、墳丘中軸線に対しおよそ東西対称であると思われます。また、こうした端正な姿の柄鏡形前方後円墳を、北へ下る斜面上に築くための工夫も明らかになりました。その第1点は、第1段段築の裾を北にいくほど低くめぐらすのに対し、同上面は水平に成形していることです。その結果、後円部の裾の輪郭が楕円形を呈するのに対し、各段築上面はほぼ正円に築造されていることに、当時の土木技術の高さをみることができます。第2点は、こうした墳丘形状を崩落から護るために、墳丘の基底部に大きな石材を積み上げるなかで、第1段段築斜面の葺石の荷重をより強く支える工夫がおこなわれていたことです。
 以上、柄鏡形前方後円墳である桜井茶臼山古墳の墳丘構造の一端が今回解明されたことは、当時の奈良盆地東南部にあった造墓集団を復原するための糸口になると期待されます。

桜井茶臼山古墳の位置
桜井茶臼山古墳の位置


桜井茶臼山古墳の墳丘と調査区の略位置
桜井茶臼山古墳の墳丘と調査区の略位置


桜井茶臼山古墳の後円部と後円部葺石基底部
桜井茶臼山古墳の後円部と葺石基底部(南から)


後円部葺石基底部
後円部葺石基底部(東から)


 本資料は、奈良県立橿原考古学研究所主任研究員豊岡卓之が作成した。