勝山古墳出土木材年輪年代測定結果について
記者発表資料(2001年5月30日)


T.はじめに
 平成13年1月15日から3月22日にかけて実施した勝山古墳第4次調査において、前方後円墳北側くびれ部付近の周濠埋土中から多数の木材が出土した。これらの中には、ヒノキ材やコウヤマキ材が多数含まれていた。そこで、それらの中に年輪年代測定が可能な資料が含まれていることを考慮して、独立行政法人奈良文化財研究所埋蔵文化財センター(以下、奈文研と記述する)の光谷拓実氏へ連絡をとった。4月上旬、光谷氏が来所し、年輪年代測定可能資料を選定。それらの資料を奈文研へ持ち帰り、年輪年代測定を実施した。以下に、その測定結果の概要について発表する。

U.遺物出土状態
 桜井市東田町に所在する勝山古墳は、後円部径65m、墳丘長110m強の規模を有する前方後円墳である。勝山古墳の北側から西側に広がる溜池改修工事に伴う事前調査として、平成12年度に第4次調査を実施した。この調査は、墳丘北側のくびれ部から前方部にかけて(第1調査区)、後円部南側(第2調査区)、および、後円部北西の池底(第3調査区)の3調査区において実施した。このうち、第1調査区のくびれ部付近周濠埋土内から多数の木材や木製品が出土した。
 第1調査区は、東西長約19m、南北最大幅約8m、調査面積131uである。この調査区西半部、くびれ部付近周濠埋土中からは、約200点にもぼる木材および木製品が出土した。これらは、墳丘側から一括投棄されたような状態で土器片や木屑片とともに出土した。主に建築部材と考えられるものが多く、手斧による加工痕跡が明瞭に残る丸太状の柱材は23点、板材は26点を数える。柱材は30pから50p程度の長さに切られたものが多いが、最長のものは長さ152pを測る。板材の中には線刻を有するものや朱が塗られているものなどがある。他に樹皮を円柱状に巻いた製品(12点)やザル、鋤柄などがある。これらの遺物は、周濠底面から30pから50p程度浮いた状態で出土しており、墳丘築造後一定期間を経た後に投棄されたものと考えられる。
 これらの木材および木製品には、建築部材と考えられるものが多数存在し、また、朱が塗られたものや付着したものも多く認められる。出土した鋤柄は小形のもので実用品とは考えにくい。これらは、いずれも意図的に破壊された後、墳丘側から一括投棄された可能性が高い。以上の点から、これらの遺物は、墳丘上で執行された何らかの祭祀で使用された後、一括廃棄されたものと考えられる。出土土器から、廃棄の時期は、寺沢編年の布留0式期と推定される。このような、出土状態を示す類例は、隣接する纒向石塚古墳の調査においても確認されている。石塚古墳の場合は、南北両側のくびれ部付近から、建築部材・農耕具・祭器(弧紋円盤)・朱塗りの木屑片等が多数出土している。


木製品出土状況図
第1図 木製品出土状況 (出土状況写真)

V.年輪年代測定結果
 第1調査区周濠埋土内出土の木材および木製品の中から年輪年代測定結果が提示された資料は4点である。それ以外に第2次調査出土の柱材1点についても測定が行なわれた。したがって、勝山古墳出土木材および木製品5点について、年輪年代測定結果が出たことになる(第1表)。
 第1図に第4次調査測定資料の出土位置を明示する。資料bQから5は心材型であり、伐採年代を推定することはできない。それに対して、資料bPは辺材型であり、資料の伐採年代を推定することが可能である。
 測定結果によれば、資料bPの辺材幅は2.9pである。一般にヒノキの辺材平均幅は約3pであり、この資料の辺材最外年輪部は樹皮直下に近い可能性が高い。ただし、辺材幅が3.6pを測る例もあるので、樹皮までの欠損幅をあと最大で1p程度見積もることもできなくはない。その場合でも、残存辺材幅でカウントできる年輪数は22本であるから、平均年輪幅は約1.36oである。したがって、仮に最大1pの欠落があると仮定しても、その中に刻まれた年輪数は7乃至8本である。つまり、この資料の伐採年代は、新しく見積もっても西暦210年を降らないことになる。

第1表 勝山古墳出土木材および木製品年輪年代測定結果
資料調査次数遺物部材名樹 種年輪数 年 代 形 状
第4次132板 材ヒノキ109+1198+1A.D.辺材型
第4次204柱 材ヒノキ115131A.D.心材型
第2次104柱 材ヒノキ191129A.D.心材型
第4次172板 材ヒノキ120129A.D.心材型
第4次160断 片ヒノキ176103A.D.心材型


W.資料bPについて
 資料bPは平行四辺形を呈する板材である。第1図に示したように、丸太材が集中する場所から出土した。残存長41p、幅26p、厚さ2.5pを測る。材質はヒノキである。表裏両面は、手斧によると思われる細かい調整痕が認められ、比較的平滑に仕上げられている。両側縁部と斜辺の一辺は、さらに調整が丁寧で平滑である。これらの面には、線刻や塗彩による文様等は認められない。斜辺の一辺は片面から斜めに、また、他の一辺は両面から斜めに削り落とされている。後者の加工痕跡は、本来の板材を切断するために施されたものと考えられ、供伴するその他の木材と同様に、破壊された後、投棄されたものと推定される。

X.まとめ
 今回、年輪年代測定結果がだされた5点の資料のうち、伐採年代を推定することが可能なものは1点であった(資料bP)。ただし、その他4点の資料についても、この資料より新しい年代測定結果がでたものは1点もない。なお、かつ、資料bPと他の4点の測定結果の間には、約70年から100年の差がある。資料点数が限られているとはいうものの、この年代測定結果から、勝山古墳の墳丘上で執行された祭祀の年代は、推定伐採年代よりも古くならないことは明らかである。
 それでは、資料bPの推定伐採年代が、そのまま勝山古墳の築造時期を示しているのかといえば、そうではない。木材の伐採から製材、加工にかかる時間幅、および、使用から廃棄に至る経緯やその間の時間幅をも考慮する必要があることは言うまでもない。残念ながら、現段階ではこれらの時間幅を明らかにするてだてはないが、それを極端に長く見積もる必要はないものと考えられる。
 1989(平成元)年に、勝山古墳の南東約1qに位置する石塚古墳北側くびれ部付近の周濠内から出土した板材1点の年輪年代測定結果が公表されている。これも、資料bPと同様辺材型で、推定伐採年代は177+α(α≒20)年である。つまり、従来から最古グループの古墳の一つと考えられていた二つの古墳から、非常によく似た測定結果がでたことになる。様々な異論はあろうかと思われるが、この事実を偶然の一致と見なすのではなく、積極的に評価して、勝山古墳の推定築造年代を3世紀前半の中におさまるものと考えたい。
 今回の年輪年代測定結果は、従来一般的に考えられている古墳時代の開始年代が、より古く遡る可能性を示唆するものであるとともに、ホケノ山古墳の調査成果を追認するものである。