斑鳩 藤ノ木古墳 現地説明会資料(2001年4月14・15日)


はじめに

 藤ノ木古墳は6世紀後半に造営された直径約48m、高さ約9mの円墳です。
 これまでに昭和60年から昭和63年にかけて三回の発掘調査を実施し、平成3年には国史跡の指定を受けました。そして平成4年度より整備に向けた史跡指定地の公有化を進める一方、平成11年度からは石室保存修理事業としてこれまでに写真測量を導入した石室の現状記録調査を実施しています。
 今回の調査については、藤ノ木古墳における保存と活用を目指した整備方針により、羨道側壁の状況を確認する必要性と、石室公開に伴う見学者用通路の確保という観点から、石室羨道閉塞部の発掘調査を第4次調査として実施いたしました。

石室実測図
調査前の石室実測図

調査前
調査前の閉塞石の状況(阿南辰秀氏撮影)

調査の概要
  1. 閉塞石は基本的に石室の外側から運び込み、石室内側から外側へ向かって順次並べて置かれていました。築いていく手順としては、比較的大きな石を配置する→中規模の石で充填する→平たい石で凹凸の著しい部分に蓋をするように配置していくというものでした。ただし、垂直の壁面を意識して構築されていた石室内側のある段階までの閉塞石については、石の積み方は逆に石室外側から内側に向かって置いてありました。
  2. 閉塞石の外表面を観察した結果、しっかりとすえられた石が高さ40〜60cm間隔で見られ、1.の手順で積まれた石の高さがちょうど同じ高さになり平坦面を形成していたので、この面が何らかの作業単位を示すものと考えられます。今回の調査ではこの作業面を四面確認できました。
  3. 閉塞石南側西半部下方の作業面と作業面との間に見られた土については、既往の調査での縦断面図と照合すると、作業道もしくは墓道の一部である可能性があります。よってこの作業面までは、石室構築時に閉塞石として石を積んではその南側に土を入れて、石材や副葬品の搬入などに利用した作業道としたことが考えられます。そしてこの作業面より上部については、その作業道として利用したところを、最終の閉塞作業での基礎の壇として、石室内側から外側に向かってひかえながら、断面で見ると三角形になるように積み上げて閉塞作業を終了したものと考えられます。
  4. 閉塞部は、基本的に石を主体として構築されていること、それらの石に明瞭な不整合を見いだせなかったこと、構築時に混入したと思われる遺物以外は出土しなかったこと等から、閉塞石を取り除いた追葬はなかったと考えられます。
  5. 今回の調査で、構築された順番が整地→排水溝→敷石→閉塞石であることが明らかとなりました。
調査後
調査後の状況(阿南辰秀氏撮影)

まとめ

 大和の大型横穴式石室で閉塞石を調査した例は、市尾墓山古墳(高取町、6世紀前半)、平林古墳(当麻町、6世紀後半)、烏土塚古墳(平群町、6世紀後半)、牧野古墳(広陵町、6世紀後半)など数えるほどしかありません。しかも、これら古墳の閉塞石の遺存状況は悪く、藤ノ木古墳のような大型横穴式石室の閉塞石を良好な状態で調査できた例はほとんどありません。今回の調査は、6世紀後半の大型横穴式石室の構造を考える上で、重要な資料を提供することとなりました。

 発掘調査及び本資料の作成にあたっては平田政彦(斑鳩町教育委員会)と青柳泰介(奈良県立橿原考古学研究所)が担当し、奈良県立橿原考古学研究所河上邦彦、寺澤薫、西藤清秀の指導を得た。

* この調査は、斑鳩町教育委員会が主体となり、橿原考古学研究所が協力して行ったものです。